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鍋パーティーのブログ

再分配の重視を求める「鍋パーティー」の共用ブログです。

「質実」で「健全」で「がんばる人が安心できる」シバきに満ちた社会

きまぐれな日々 - 「元財務官僚・玉木雄一郎(民主)の『財政再建ガー』(呆)」

上記エントリでは政権批判にかこつけて財政再建が遠のくという玉木議員の批判を、均衡財政やら財政再建原理主義など欧米辺りなら保守派やネオリベのドグマになっていると批判しているのだが、玉木議員に限らず最近の民主党・更には広義の“政権批判”側とされる面々まで、何か安倍政権を叩ける(?)「対抗軸」を探し出して攻撃しようと躍起になっている感が強い。

「きまぐれの日々」のエントリで批判されていた様に、財政支出に対しては財政赤字云々と非難し金融緩和に対してはバブル何鱈(もう四半世紀も前に崩壊してしまったのに!)と心配事であるかの如く言う、挙句の果てに成長戦略とか経済成長と言えば「定常社会」とか言い出してしまう有様だったりする(この「定常社会」に関しては別の機会に批判を加えておきたい)。

 

だが玉木議員のことを耳にして、自分は昨年暮れの出来事を思い出していた。

「がんばる人が安心できる」社会?

恐らくナイーブで真面目な人だったら、この「『がんばる人が安心できる』仕組み」ってのを当然の様に思うだろうし、ネオリベに批判的な人間ですら尤もだと同意してしまう可能性は決して低くはあるまい。だが、玉木議員のこの呟きに対し森岡正博早大教授はこう突っ込んだ批判を加えているのだ。

 

 その他にもネット上では結構批判や疑問が見受けられた。

 

 

 

 

 これだけ並べてみただけでもお腹一杯。それこそ「がんばる人が安心できる」なんて口先で言ってみたところで、現実には「安心」とは程遠い生活を強いられかねないし、仮にそういうことにでもなれば「それはお前が『がんばっていない』からだ」なんて決めつけられてしまう可能性が大きい。そうでなくても障碍者など「がんばれない」人も現実には少なからず存在する訳で、「がんばった人が」云々ってやるのはそうした人たちを見殺しにする残酷なシバきになってしまう。

「善い人には善いことが、悪い人には悪いことが起きる公正な世界」という“信念”

 こうした「がんばった人が安心できる」を始め「努力した人が報われる」「善いことをした人には善いことが起きる」といった言説は、バリバリのネオリベや保守派は元より“リベラル”と自認する様な人でも同意したり支持したりするのが少なくない。こういう考えを、社会心理学者のメルビン=ラーナーは「公正世界仮説」あるいは「公正世界信念」と呼んだ。このブログで過去に取り上げた「ノブレス=オブリージュ」にしても、見方によっては「公正世界信念」の一つの変奏と看做すことが出来よう。

 

確かに「がんばって」報われた人にとっては「公正世界信念」は心地よいモノに思えるだろう。それが例えば偶然によって例えば高報酬を得る機会を得たとか或いは何らかの工作を弄して得たものだとしても、それは「がんばった」結果ってことになり競争の過程の公正さやマクロ的な面での環境や機会の問題は捨象されてしまう。そして報われなかった人にとっては「君はがんばっていないから仕方ないよ」で済まされてしまいともすれば機会に恵まれていなかったりすることも障碍で思う様に「がんばれなかった」ことも悪いのは“自己責任”になってしまうのだ!そこには機会不平等だの政策の不備や誤りだのは存在しないことになり、「公正世界」という言葉とは裏腹に世界の不公正を覆い隠す皮相的な結果しか齎さない。

「質実」「健全」にも要注意

とは言いながら、こと日本ではこうした「公正世界」を信じる風潮が長い経済的停滞を経た後でも根強かったりする。実際、“政権批判”側の言説を見ていると財政再建絡みの批判以上に(“異次元”と称せられた「第一の矢」からつい先週に導入を決めたマイナス金利に至るまで)金融緩和に対する批判も根強い。この間の『サンデーモーニング』でもマイナス金利導入に対し、寺島実郎幸田真音がそれこそトンデモないとばかりに“政権批判”ぶったコメントをし直ぐ様荻上チキが(それこそリベラルな立場から)マイナス金利導入に関してフォローするコメントをしていたくらいだ。

寺島や幸田の頭の中には(ともすれば佐高信辺りでも同じ様に考えているだろう)、それこそ金融緩和で必要以上にお金が市場に流れれば投機市場にお金が流れ込みバブルになる、というそれこそ30年も前の記憶が根強く残っているに違いない。まぁ、「第一の矢」では確かに金融緩和で株式市場も盛況となり株価も上がったが、一方で給与所得も上がる傾向を示している訳で流石にバブルガーって非難するのには無理がある(その後の消費税増税と世界的な経済停滞が重なったせいでその効果も一時的ではあったが)。でも金融緩和で景気にテコ入れしよう(もっともクルーグマンの指摘通り実際には金融緩和だけで巧く景気が上向くなんてことはない訳だが)というのは、経済の「質実」さを損ね「健全」ではないって考えるのがネオリベに批判的な“リベラル”でさえも少なからずいて、こんなことを言っているのならまだマシと(それこそ松尾匡が新著『この経済政策が民主主義を救う』で指摘している様に)安倍政権自民党を支持する層がなお多いという結果になっているのである。

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

 

 実際、四半世紀前のバブル崩壊直後にはそれこそバブル時代の投機で成り上がった様な成金が軒並み借金を抱えて破産したり(それが結果的に金融機関の不良債権問題となり、日本経済の停滞の一因にさえなった訳でもあるが)して、その“贅沢さ”を戒める意味で故・中野孝次の『清貧の思想』がベストセラーとなり、かの“火の玉教授”こと大槻義彦にしてさえ健全な日本社会を創る処方箋」とばかりに『日本人よ、お金を使うな!』なんて本を出したくらいだ。 『清貧の思想』がベストセラーになった頃には「新党さきがけ」(今の民主党の源流の一つでもある上に、それこそ「改革はするが戦争はしない」の“さきがけ”だったりするのだが)が結成されているのだが、その理論的存在だった田中秀征質実国家への展望」として『舵を切れ』を上梓したりしている。

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

 

 

 

舵を切れ―質実国家への展望

舵を切れ―質実国家への展望

 

 しかし、何れの本も世に出てから既に十数年もの歳月が経ち、その間の社会的不平等の拡大や貧困の深刻化といったものもバブル時代と比較しても明らかに深刻な事態にすら至っている。ブラック企業パワハラ・“やりがい搾取”といった労働問題だって噴出しているが、先述の田中は(自身が主宰している「民権塾」で)「現金報酬に因らない労働をもっと評価しよう」と言っていたのだ!塾生として通っていた自分は、それを聞いて拙いんじゃないかと思っていたのだが今となっては(手前味噌ながら)先見の明あったとさえ思っている。

そろそろ、文章を〆ることにしよう。兎角「質実」「健全」で「がんばる人が安心できる」(努力した人が報われる」「善いことをした人には善いことが起きる」)という言葉は、ことに道徳的な響きを持つが故に多くの人々が幻惑され易いところがある。しかし、それによって引き起こされた現実を見れば、それは「公正世界」とは程遠いシバきに満ちたディストピアでさえあるのだ。