これぞ新自由主義者の論理
まず助ける人(自助)と助けられる人がいる。助けられる人は直接(共助)と公的機関による間接(共助)がある。自助、共助、公助のうち自助をなくすと全体が成り立たない。政治家は全体をみるべき→蓮舫氏「もう『自助』と口にしないで」 菅首相に訴え:朝日新聞デジタル https://t.co/tacwV7ELg6
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2021年1月27日
助ける人と助けられる人の区別などない。人は一人で育つものではないという話はもちろん、社会の成功者は、その社会(現在でいえば「自由主義」「資本主義」の社会)の構成員が積極的‐消極的、意識‐無意識はともかく、その社会をともに構成しているからこそ、成功できるという話もあるし、巨人の肩の話もあれば、人とは人を支えることで自らも支えられるという話もある。にもかかわず、「『助ける人』(自助)と助けられる人がいる」などと騙ることは、社会、人びとからの恩恵に底なしにどん欲に甘え、タダ乗りし、ひいては人びとから搾取しようとする、真正の盗っ人根性の発露だといえよう。そして、これこそが「新自由主義」の論理だ。新自由主義が人びとを圧殺しようとしているなかで、恥ずかしげもなくその論理、盗っ人根性を発する。まさしく、盗っ人(!*1)猛々しいといえる。