鍋パーティーのブログ

再分配の重視を求める「鍋パーティー」の共用ブログです。

「貧困問題を政治利用するな」

藤田孝典と言えば、「反貧困」の活動では湯浅誠や稲葉剛・今野晴貴らと並んで名前が比較的知られた方であり、貧困問題に関してもいくつか著作をものしている。

その藤田が12月17日に12月17日に以下の様に立て続けの呟きをしているのだ。

 藤田の「左翼・リベラル批判」をめぐる反響

当然、この一連の呟きに対してはこと貧困問題に熱心に取り組んできた左翼・リベラルへの批判ということもあってか、かなり批判を招いた。例えば稲葉剛は藤田の呟きに批判的に反応している。

稲葉剛公式サイト » 「誰が貧困を拡大させているのか」という議論を恐れてはならない。

 貧困問題に関わる団体や個人が「幅広い支持」を求めるあまり、今の政治の動きに対して「まずい」と思っていても沈黙をしてしまう、という傾向が生まれてはいないでしょうか。

カジノ法案や年金カット法案、生活保護基準の引き下げといった「政治的」な課題に対して意見を述べると、自分たちの活動が色メガネで見られるようになり、支持が広がらなくなってしまうのではないか、と恐れてしまう。「左派と見られるのが怖い」症候群とでも言うべき現象が広がりつつあるように、私には思えます。

政治が良くも悪くも貧困に対して現状維持の立場を取っているのであれば、国政の課題にはタッチせず、目の前のことに集中する、という姿勢も有効かもしれません。

しかし残念ながら、今の政治が貧困を拡大させ続けているのは明白です。一人ひとりの生活困窮者を支えていく現場の努力を踏みにじるがごとき政治の動きに対して、内心、憤りを感じている関係者は多いのではないかと思います。

そうであれば、貧困の現場を知っている者として、社会に発信をしていくべきではないでしょうか。団体での発信は難しい場合もあるかもしれませんが、個々人がSNSなどで意見を述べるのは自由なはずです。

貧困問題を本気で解決したいのであれば、「誰が貧困を拡大させているのか」という議論を避けて通ることはできないのです。

現場レベルで貧困対策を少しでも進めることと、将来にわたる貧困の拡大を防ぐために政治に物を申していくことは決して矛盾していません。

その他、数々の批判が藤田に対し投げかけられた。

  一方で左翼・リベラルと目されている側からも、藤田の指摘に対し同意する意見も見受けられている。

 貧困問題にとっての「政治」とは?

この藤田の呟きをめぐる賛否両論や反響は、濱口圭一郎の以下のエントリの中での指摘が示唆的ではないだろうか。

eulabourlaw.cocolog-nifty.com

藤田さんが想定しているのは、(稲葉さんがやってきたような)貧困を問題にする政治ではなく、ややカリカチュアライズして言えば、貧困なんて問題は本音ではどうでも良いけど、ナショナリズムとか排外主義とかといった大文字のマクロ政治における左右の対立図式における陣地取り合戦の手駒として貧困問題「も」使おうという「左翼やリベラル」(略して「リベサヨ」ですか)発想に対する違和感なのでしょうし、稲葉さんがその意義を説いているのは、まさにその貧困問題を解決する回路としての政治に積極的に関わるべきということなので、実のところはあんまりずれていないように思われるのです。

 濱口の指摘や稲葉の批判を見る通り、貧困問題がこと賃労働や福祉など社会政策の中でも重要なマターであるのは今更言うまでもなく、仮にも時の政権がその政策面で不充分だったら政治家へ陳情・請願したりデモや署名で数量的に見える形で問題を顕在化させたりする「政治的」なことをしなければならないのは当然のことだろう。

だが、その「政治的」なことをする場合には当然「左翼・リベラル」のみならず政権与党の側に対しても働きかけなければならないというジレンマが存在する。政策実現を第一とするなら、政権批判側に働きかけて積極的に批判の声を挙げてもらうよりは、寧ろ時の政権の政策担当者に今どれだけ深刻な状況なのか・何故この様な政策が必要なのかということを説明しチャンと社会政策として形にしてもらう方が──こと政権与党の支持が高く野党へのそれが弱い場合には──早道であることは一面の真実だったりする。

 それは、「左翼・リベラル」の批判や(生活相談などの)日常活動が無力だということを必ずしも意味しない。逆に「左翼・リベラル」など政権批判側の批判の声が存在することで、政権側が政策を実施する意思決定を行うインセンティブになる面すらある。しかしながら例えば貧困問題や社会政策に直接的に関係ない様な「ナショナリズムとか排外主義とかいった大文字のマクロ政治」の点──もっとも間接的には無関係とも言い消れない──に関してまでワンセットにして貧困問題などの現場に持ち込むのは当事者からすれば逆に「利用されている」格好になってしまい反発すら招いて逆に「左翼・リベラル」への嘲笑ないし嫌悪へと向かうのも致し方無い。況や、其処へ怪しげな科学だのオカルティックなものを持ってきたり

d.hatena.ne.jp

貧困問題に取り組むと口先で言っていながら同じ口で均衡財政だの緊縮だの「経済右派」の主張を繰り返していれば

きまぐれな日々 野田佳彦、朝日新聞、「リベラル」等の救い難い経済政策観

松尾(匡=引用者注)氏は、スペインのポデモスもイギリス労働党のジェレミー・コービンも大胆な金融緩和を主張し、アメリカ民主党のバーニー・サンダース(残念ながらヒラリー・クリントンに負けてしまったけれども)は大規模な財政支出を公約した、それなのに… と書くが、その意味でどうしようもないのは、先の民進党代表選で圧勝した蓮舫が、3人の候補(いずれも民進党内保守派だ)のうちもっとも緊縮財政志向の強い政治家であり、しかもあろうことか幹事長に野田佳彦を選んでしまったことだろう。野田の経済政策は、安倍晋三と比較しても経済軸上の「右」側に位置する。この状態では、2006〜07年にかけて威力を発揮した、安倍政権の新自由主義的経済政策への批判は効果を持たないどころか、ブーメランとなって民進党を直撃する。安倍政権より緊縮志向が圧倒的に強い野田の経済政策では、民進党の票は、いくら「野党共闘」に助けられたところで自民党候補に勝つほどには伸びないだろう。その意味で、野田を幹事長に据えた蓮舫の人事は「敗着」になりかねない大失敗だったと言わざるを得ない。
 加えて、全く好ましくないと私が思うのは、「野党共闘」(これは次の衆院選でも行われるだろう。民進党は他党の助けを借りずに候補を当選させられるだけの力を既に失っているからだ)が進んで以来、民進党を批判しようとすると、「民進党批判をして何になる。安倍晋三(安倍政権)や自民党を助けるだけだ」と言う人間が現れて、批判が封じられてしまう風潮が出始めていることだ。

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

 

 当事者が「利用されている」と感じてしまうのも、それで「左翼・リベラル」が嘲笑ないし反発を受けるのも──日常活動として貧困問題や社会政策に取り組んでいたとしても──当然のことではないか。

いみじくも藤田はこう呟いている。この呟きの意味を改めて考えてみることは──巷間の「左翼・リベラル」への嘲笑が論外だとしても──「左翼・リベラル」のみならず政権批判側全体に突きつけられている課題なのではないだろうか。