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鍋パーティーのブログ

再分配の重視を求める「鍋パーティー」の共用ブログです。

財政を家計にたとえるなら…

著者:suterakuso kojitakenさんの『きまぐれな日々』のコメント欄で生まれたコメンターです。

 

 

 つい最近、母がこんなことを言っていたので、びっくりしました。

 

「本当、政治ってでたらめになって。アメリカのために戦争しても憲法違反じゃないって。それに、国民の借金が1000万円を超えるって。それなのに、国債を出して、国債を日銀が買うって。日銀が政府の言う通り買って、いくらでも借金するのよ。もうめちゃくちゃ。」

 

母は戦中生まれで、父ともども家庭の事情で望むような進学ができなかった、というか、望むことすらできなかったような人です。だから、母から見て好戦的で金持ちの味方的な自民党に批判的なのは昔からなので、別に驚くことではありません。というか、典型的な「非武装中立で清らかな社会党を支持する」みたいな人でした。では、何に驚いたかというと、この、国の借金云々が、こんな形で、母みたいな人に通用してるんだということに驚いたのです。デフレ対策とか再分配とか、いちおうある程度は争点になっていて、いちおう、テレビだって、もうちょっとまともな理解ができるような解説をし始めているのだろうと思っていたのですが、飯田泰之氏がコメンテーターしてたりしますよね、でも、ああ、まだこんなもんなんだなぁって。いや、もちろん、財政赤字の、ほんとアホな解説があることは知っていますよ。その典型がこれ↓。これは、過去の私のブログ記事(http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/20131224/1387895160)から。朝日なので、もう、リンクは切れています。

 

『予算膨張、タラちゃん大丈夫? 日本の課題、グラフ解説』

2013年12月24日16時58分

http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312240159.html

 

以下、引用。

 

 サザエさんに例えましょう。テレビでは波平さんもマスオさんも働いています。これは1970年代ごろがモデルではないでしょうか。今では波平さんもマスオさんも退職し、カツオ君やワカメちゃんが主な稼ぎ手になっているでしょう。

 

そして遠くない将来、カツオ君やワカメちゃんも退職し、タラちゃんが1人で家計を支えることになります。みんなの老後のためには貯金が必要です。なのに現実には貯金どころか、傷みが目立ってきた家の修理もままならない状態です。

 

引用ここまで。

 

解説しているのは、元財務官僚で経済学者の小黒一正・法政経済学部准教授。突っ込みどころ満載。磯野家はこのタラちゃんの代で途絶えることになっているのね、とか。立場とはいえ、よく恥ずかしくもなく准教授の肩書で、こんなたとえができるなぁと思います。でも、こんなんでも通用しているということなのかな。んで、こういうたとえに対しては、それより前に、これじゃあいかんと思って、私も対抗するたとえを考えて、ブログ記事に書きました(http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/20120408/1334060830)。というか、それが一番の私のブログをはじめた動機です。だから、それは、今もトップに常駐させています(http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/)。

 

 今回、kojitakenさんが、この「鍋パーティブログ」を開設し、「きまぐれな日々」や「kojitakenの日記」の「コメント欄の常連」にも積極的に投稿を呼びかけていることを受けて、それならば、使い回し的なものでも、私のたとえを紹介させていただくのもよいのかなぁと思うようになりました。少なくとも、私には、私の零細ブログで日の目を見ない状態にさせておくよりは、せっかく考えた甲斐があるというものです。

 

 なお、このたとえは、中学校や高校の先生や、職場とか地域とかサークルとか親類とかで経済的なことを説明する機会があるような人(そんな人いるかな?)が、解説を加えることでより有効になることを意図してつくりました。たとえば、

 

>この大家族のみんなには、お金になる仕事とあまりお金にならない仕事が割り当てられることになっています。でも、家族のみんなは、それは仕方がないと考えています。だって、頑張る人がお金になる仕事をするようにすれば、みんな頑張るもんね。

 

という部分は、資本主義ってそういうことだよね。そういう仕組みの社会をみんなであえて作っているということだよね。というように。なので、ぜひ、影響力のある人たちに、このたとえをどんどん活用してもらって、アホなたとえを打ち負かすことに、それが貢献してほしいというのが私の願いです。なので転載もとてもうれしいものです。

 

 

 では、以下、私の「財政を家計にたとえるなら…」です。

 

 

 ある大家族がいます。この大家族は、家族みんなを働きやすくしたり、安心して暮らせるようにしたりするための仕組みをつくっています。この仕組みにお金がいるので、みんなでお金を出しあうことにしています。

 

 この大家族のみんなには、お金になる仕事とあまりお金にならない仕事が割り当てられることになっています。でも、家族のみんなは、それは仕方がないと考えています。だって、頑張る人がお金になる仕事をするようにすれば、みんな頑張るもんね。

 

 それで、この大家族には、とてもお金持ちな人と、生活が苦しい人がいます。なかには、借金をしている人もいます。

 

 さて、この大家族に大問題が発生しました。家族のための仕組のお金が足りなくなったのです。というか、大借金です。だから、「出しあうお金をもっと増やして、借金をなくそう」と主張する人が出てきました。「自分たちが生きている間に借金を返さないと、無責任だ」という人もいます。

 

 ところで、この大家族は借金まみれなのかというと、世界でも稀なお金持ち家族です。

 え? でも、大借金なんでしょって? いえいえ、家族のための仕組みが、大借金なだけです。

 

 言っている意味が分からないって? う~ん、つまり、家族の仕組みのために、家族のなかのお金持ちの人に、お金を借りているんです。利子付きで。家族全体では、世界でも稀なお金持ちです。

 

 じゃあ、もう借金をちゃらにすればって? 家族でしょって? お金持ちの人は家族のための仕組みのおかげでお金持ちなんでしょって?

 そうですね。それもいいかもしれませんね。

利潤ガー報酬ガー原価ガー・・・・・そして誰も得しない社会が残った

『鍋党ブログ』で自分も含めてちょっとした論争になったエントリがある。「『利潤』は世界を豊かにするか」というエントリだ。

 

利潤は「世界からのピンはね」?

このエントリの著者はそれこそ『資本論』(のそれも入門書的なモノくらい)を齧った程度で、「『利潤』は世界に何かを付け加えていない。『利潤』はこのままでは世界からピンはねしただけだ」などと、あまりにお粗末な例示を以て利潤を「ピンはね」とさえ決めつけている。例えばこんな具合だ。

 ある画家が10円の画用紙に100円の絵の具で書いた絵が1億円でA財団に売れたとする。
世界には一枚の絵が財産として加わり、画家は9999万9890円を得たことになる。ところでここで一度確認すると、増えたのは一枚の絵だ。お金は増えていない。画家が支払った110円はいま画材屋さんの手の中にあり、A財団が払った一億円は画家の手に移った。画家は自分の絵に一億円の値がつけられたことに満足して一億円で絵をA財団に売り、A財団は一億円で絵が手に入ったことに満足して一億円を支払った。
(中略)

ここに商業資本が入り込んで、安く買って高く売る、利潤の極大化を目指したらどうなるか。

まず「資本」は画家からなるべく安く絵を仕入れ(たとえば1000円としよう)、A財団になるべく高く売る(たとえば1億円としよう)。資本の利潤は9999万9000円になる。
ところで、世界に一枚の絵を付け加えたのは画家であり、お金を払ったのはA財団だ。「資本」は何も付け加えていない。絵がより美しくなったわけではないし、お金をふやしたわけでもない。資本の取り分は本来なら仲介手数料程度のものでいいはずだ。

そもそも、たった一人の買い手と一人の売り手がいて、単純に労働価値だけで価格が決まるって巧くいくケースってそんなにあるの?ってのが先ず疑問に浮かぶだろう。実際の商取引なら何人かの買い手が競り合って売り手の思惑以上に利益を手にすることもあるだろうし、逆に全く売れなければそれこそ原価割れの叩き売りをやってでも当座の現金を確保しようって考えるのが普通だ。おまけに最初の価格通り商品の価値が何も変わらないってのも非現実的だ。仮に生鮮食料品だったら腐って売り物にならなくなったりするし、服飾品だったら流行り廃りがある。例示されてる美術品だって定期的に修繕費用が発生したりするだろうし、お金の“額面”だけ見て等価だとしてもマクロ経済的に同じ価値なのか?と疑問符は幾らでもつく。しかも、主張や議論は労働価値説そのものなのにこれは労働価値説ではありません。重農主義者が重商主義者に対してなした批判、商業は国を豊かにしない、をアレンジしただけですって意味不明な返答(それこそが労働価値説の出発点なのに!)をやっている始末だ。ちなみにこの一件に関しては、自分でも今一つ納得出来なかったので(最近アベノミクス批判の新著を出した)松尾匡氏にメールを出し納得できる回答を頂いた。

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

 

 利潤はピンハネ・報酬もピンハネ・原価は・値段は・・・・

しかし、この手の利潤をピンハネという論法はどういう訳だか多くの人々が支持しちゃっているとこがあるし、それが更には報酬もピンハネ・原価に比して値段が云々といった具合に何か仕事をしたりすればそれこそピンハネするかの如く悪し様に言うのは結構見受けられる。その上今ではインターネットの普及で値段を比較できることも簡単だ、あっちの店(会社)で安くやっているならこっちでもこの価格でやれってことはそれこそ彼方此方で見受けられる。

しかも、そこで叩かれるのは例えば業績のいい企業の役員とか成績の良いプレーヤーに向くことは先ず無い。イチロー中田英寿が年に何億稼いでも、それを批判する声は皆無だったりする。企業の役員報酬だって、(政府から補助金を出して貰ったりするなど何とかやっているとこならまだしも)例えばトヨタあたりの経営幹部やトップが報酬を貰い過ぎだ!って非難は皆無ではないにしろ余り広がっていない(現実にはクルーグマンが指摘している様に「おそらく殆どは既成のヒエラルキーを登って今の地位を得、技術革新に対する対価ではない」訳だが)。

だが、これが例えば公務員(それも首長から一般職員・果ては非常勤で雇用されてるのまで含めて!)や生活保護の受給者・あるいはちょっとした中小企業や個人事業だとどうなるだろう。それこそ身を切れ!とかもっと工夫すればコスト削減できるだろ!とか贅沢だ!だの、それこそ少しでも冗費すればピンハネ・無駄遣いの如く非難の大合唱。当事者の生活事情はお構いなしに叩き易しを叩いている面がある訳だ。

 

「らーめん才遊記」の真理──金が介在するが故に責任が発生する

 ここいら辺りで少しばかり話題を変えよう。既に完結してしまったが『ビッグコミックスペリオール』で連載されていた「らーめん才遊記」というのがある。

らーめん才遊記 コミック 全11巻完結セット (ビッグコミックス)

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 その中で(漫画の舞台の)「らあめん清流房」のアルバイト店員を主人公の汐見ゆとりが面接した際、余程のラーメンフリークらしき者が応募してきてバイト代はいらないから何が何でも働かせてくれと意欲たっぷりにアピールしてくる。ゆとりは、その応募者は結構有望なんじゃないか?と「清流房」の社長・芹沢に上申するのだが、芹沢は「馬鹿か、お前は。タダでもいいなんて言う奴は論外だ」と一刀両断する。そして、こう続けるのである。

ほとんどのバイトは1時間働いてようやく千円前後の時給を貰える・・・・・その大変さを知ってる人間なら、たとえ意気込みを表わす言葉にせよ、「タダでもいい」などと軽々しく口に出したりしない。

 そして、こう断言する。

金を払う』とは仕事に責任を負わせること、
金を貰う』とは仕事に責任を負うことだ。
金の介在しない仕事は絶対に無責任なものになる。

 利潤や報酬をピンハネとか非難する人間に比べれば、この芹沢の言は多くの真理を言い当てていると言って良い。冒頭の例示に出てきた画商だって、例えばどんな顧客なら買うだろうか・どれくらいの価格なら妥当なのかという目利きをする、絵を買ってくれそうな顧客・パトロンを探しに営業や顧客開拓をする、泥棒に盗難されたりカビなどで劣化しない様にチャンと管理する、など色んなところで責任を負う仕事をやっている。少なくとも「仲介手数料程度」ばかりで軽口を叩けるような仕事ではない。

しかし、利潤は世界からのピンハネなどと言う人間には、こうした金の遣り取りによって責任を負った仕事が可能となるという現実が見えていない。だが悲しきかな現実には利潤ガー原価ガーと騒ぐ人々が世に憚り、その結果ホントなら捨てられるはずだった食品廃棄物が激安の「目玉商品」として店頭に並んだり、6,70代の老人が慣れない大型バスを運転した挙句10数人もの死者を出す大事故を起こすという誰も得しない社会になってしまう訳だ。

「ノブレス=オブリージュ」って「トリクルダウン」より当てになんないんじゃね?って話

と言う訳で、早速いの一番に自分がエントリを書くことにしたのだが、先ずは昨年暮れにTBSで放送された『サンデーモーニング年末スペシャル』の余りの酷さに辟易としたとこから話を始めるとしよう。

そもそも初っ端から酷かった。俗流の反グローバリズム満載で、それがイスラム国を生んだって調子。コメントしているのも香山リカに水野和夫とそれこそ眉に唾を何度もつけざるを得ないのが深刻そうに語っていて、終いにゃ誰だか忘れたが混沌に満ちて秩序が失われている→閉鎖的な封建社会に戻せってまで言っている。正直、グローバリズムや資本主義の“負”の部分を理解している自分ですら「これはひどい」としか言い様がない代物だった。

ピフのモノポリー実験

だが、その中で見るべきものが一つあった。それは社会心理学者ポール=ピフによる、ちょっとした実験だ。


Paul Piff: Does money make you mean?

こちらにその詳細が書かれているが、簡単に説明するとモノポリーと言うゲーム(多分馴染みが無い方も多いので、詳しくはWikipediaでの記事で)を使って、予めゲームのスタート時から“富裕層”と“貧困層”に分けてその上でモノポリーをやって貰おうというものなのだが、その結果被験者のグループ全てで“富裕層”が“貧困層”に対し態度が傲慢になったり自己中心的になってしまったということだ。

と、ここまでの話を聞いて旧『鍋党ブログ』の読者諸氏なら何か連想することは無いだろうか?そう、「ノブレス=オブリージュ」である。

「ノブレス=オブリージュ」言説の怪しさ

旧『鍋党ブログ』の当該エントリでは、「富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだ」「これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受ける」というWikipediaの記述や欧米の富豪が「経済危機だからこそ我々富裕層に課税を」と呼びかけていることを紹介し、「欧米の富豪はこうやって責任を果たそうとしている・それに引き替え日本の富豪は『ノブレス=オブリージュ』を果たしていないじゃないか」って言う具合に「ノブレス=オブリージュ」を格差是正・再分配の文脈で語っていた。

しかし当該エントリは丁度5年くらい前のものだ。そして最近の「ノブレス=オブリージュ」に関する言説は相当変質さえしている。それこそ富裕層は金を稼いで雇用を創り場合によっては寄附や慈善事業など「社会に対する責任を果たしている」ってハナシになり、「それに対して政府は我々に余計な口出しやら負担や求めて邪魔をしてさえしている」という具合になっているのは結構見受けられる。今を時めく小泉進次郎氏も、2年前に社会保障制度改革推進会議でこんなことを口にしているのだ。

最近(サッカーの)ワールドカップを見て感じたのは、結局一人ひとりに、国の制度の中で支援を必要としない圧倒的な個の力があれば、社会保障なんていらないんですね。たとえば(コートジボワール代表の)ドログバや(得点王になったコロンビア代表の)ハメス・ロドリゲスみたいな、1人で局面を打開できる人の集団だとしたら、そういった制度は必要ない

とは言いながら、小泉氏はそれに続けて

だけど、1人では負えないリスクをみんなで分かち合って生きていこうという制度が、国だからこそ、社会保障や安全保障など様々な制度が必要になってくると思う。なぜ社会保障が必要なのか、そこからしっかりと掘り下げ、分かりやすく発信をしていく必要があるのではないか。

と言っている訳なのだが、この小泉氏の発言で強調したとこを取り出せば、1人で局面を打開できるってのが「社会的責任」と看做されて、その恩恵に多くの人が被れば社会福祉社会保障・「再分配」なんて必要ないってことになり、そうした「ノブレス=オブリージュ」とやらの恩恵が行き届くには限界がある→だから公的な社会保障や再分配が必要、って具合になる。そう、「ノブレス=オブリージュ」は最早再分配や「公助」を否定するがための理由にすらなっているのだ。

安冨歩のピケティdisと「ノブレス=オブリージュ」

週刊金曜日 2015年 3/27 号 [雑誌]

週刊金曜日 2015年 3/27 号 [雑誌]

その思いを更に確信的なモノにしたのが『週刊金曜日』2015年3月27日号に掲載された及川健二氏による安冨歩・東大教授へのインタビュー「安冨歩東大教授はなぜピケティを読まないか」だ。自分は小平市立中央図書館で当該号のこのインタビューを読んでいたが、思わず「ふざけるな!」と叫びたくなるところだった。

  • 及川健二:ピケティは累進課税の強化とグローバル資産税を主張してますが、後者について否定的ですね。(引用者註:否定的というより実現可能性が低いと言っているだけ)
  • 安冨歩累進課税を強化したら資本が、強化した国から逃げていってしまう。そのためにグローバル課税をするというわけですが、どうやったら実現できるのですか。そのためには全世界で権力をお金持ちの手から奪わなければならない。そうしたらグローバル資産税をかけられます。でも、そのときには、そうする必要がなくなっているのではないですか。全世界で政治経済的な権力が「人民」の手に取り戻されているわけですから。
    累進課税の上限を80%にするのは、恐怖です。何が怖いかっていうと官僚が全てを仕切って、出鱈目な官僚システムにすべての経済的意思決定を委ねよということです。そうしたら、この国は破滅してしまいますよ。
  • 及川:では、どうすれば不平等・格差問題は解決しますか。
  • 安冨:ある権力関係によって生まれた不平等を、別の権力関係によって解決すると言うのは論理矛盾です。経済システムによって不平等が生まれるのは、そこに埋め込まれた権力関係が問題です。(中略)お金持ちや社会的地位の高い人は一般的に不幸です。何かを奪おうとする人に狙われるからです。とはいえ搾取される貧しい人も不幸です。しかし、奪われるものがなく、誰も奪いに来ない形で貧乏している人は、必ずしも貧乏ではないのです。ですから私はそういう人々を支援する政策を支持します。(中略)それと同時に重要なことは、労働が喜びになる職場を作り出すマネジメント能力のある経営者を生み出し、支援することです。個人を搾取するのではなく創造的にすることで利益を生み出す経営者がたくさんいないといけない。
    ピケティのような議論の仕方は、この様な論点を覆い隠してしまいます。

 何処をどう見てもピケティ批判をダシにした「再分配」否定と「ノブレス=オブリージュ」賞賛です。ほんとうにありがとうございましたw

自分が、安冨氏の言動に関してどれだけ批判しているかは上記Togetterでのまとめを参照して頂くとして、少なくとも上記の遣り取りの何処に「再分配」や格差是正などの意味を汲み取ることができよう?それどころか累進課税の強化を「恐怖」とさえ罵倒し、「誰も奪いに来ない形で貧乏している人は、必ずしも貧乏ではない」などと嘯いて恵んでやろうかとばかりに言い、挙句に「労働が喜びになる職場を作り出すマネジメント能力のある経営者を生み出し、支援する」などと、それこそ“やりがい搾取”なんかやっていそうなブラック企業の経営者が聞いたら喜びそうなことを言う、こういうことを正当化するがために「ノブレス=オブリージュ」なんて言葉が使われているのはまさしくディストピアそのものでしかない。

 

もっとも、自分が挙げたピフの実験に関してはモノポリーの愛好者から批判もあると聞くし、またピフ自身も「ほんの少しの心理的介入を施すことで、人の価値観に小さな変化が生まれること。ちょっとした刺激を与えることで、ある方向へ人を導くことができること。そして平等主義の考えや他人を思いやる心を取り戻すことができる」と楽観的な方向へ結論を導いちゃっている(実際、実験結果を記録したビデオを被験者に見せたら“改心”したとのことだ)。しかし、日本に於いてはどうか?それこそ新しい公共」だの「社会起業」だの「官民協働」だので、こうした「ノブレス=オブリージュ」言説の持つ危うさは余り見落とされがちなとこもあるし、何より自分に対する安冨氏の以下の罵倒を何処をどう以てしても「人の価値観に小さな変化が生まれる」なんて楽観主義者になれるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

鍋パーティーのブログ 開設にあたって

 このブログは、FC2に開設していたブログ「Nabe Party 〜 再分配を求める市民の会」の後身となるブログです。富の再分配を中心とするテーマについて、寄稿者に自由にお書きいただいた記事を公開する場として設けました。

富の再分配

(英: redistribution of wealth)

租税社会保障福祉公共事業などにより、社会の中で富を移転させること。国などが、大企業富裕層所得資産に累進的に課税して得た富を、社会保障福祉などを通して経済的弱者にもたらす。また、公共事業雇用を創出し、所得として間接的にもたらすことにもいう。

はてなキーワードより)

 

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