鍋パーティーのブログ

再分配の重視を求める「鍋パーティー」の共用ブログです。

再分配の重視を求める人こそ共助を重視しよう~~『(みをつくし語りつくし)勝部麗子さん』を中心に~~<上>

 少し古い話だが、2016年の9月から11月にかけて、朝日新聞DIGITALが、『(みをつくり語りつくし)勝部麗子さん』というインタビュー記事を連載した。


 

勝部麗子さんとは、大阪府豊中市のコミュニティーソーシャルワーカーとして活躍し、NHKドラマ『サイレント・プア』の主人公のモデルにもなったとされる人である。この連載を読んで私が感じたことの一つが、再分配の重視を求める人こそ共助を重視すべきだ、ということだ。なぜなら、共助の場こそが、不条理にはびこる自己責任論や家族主義が打ち破られ、公助を求める態度が育まれる、恰好の場になると感じられたからだ。以下、そのことを論じていきたい。なお、この連載記事は有料会員限定記事になっており、どの記事も会員登録をしなければ、途中までしか読むことができない。各記事の続きについては、次の拙ブログの転載記事中の要約を参照いただきたい。


 

また、本記事の執筆中に、NHKのホームページでも勝部さんの連載がされていることを知り、こちらについても追加して本記事に取り上げることにした。



 この連載では、勝部さんの働きかけを軸とした、共助による支援や救済が多く語られている。それらの主たる対象者は、公助による支援や救済では掬い上げることができない人たちである。勝部さんは、彼らのことを、制度のはざまで助けてと声をあげられずに困窮している人たち、と呼んでいる。*1具体的には、ごみ屋敷の住民*2や引きこもりの問題を抱える家族*3などがそうである。また、75歳以上のアンケートで、「1カ月間、だれともしゃべっていない」と回答した人が15%もいたこと*4や、80代の親と独身の50代の子が同居する世帯が様々な問題を抱えながら社会から孤立して暮らしている「8050問題」が大きな問題となっていること*5などにも触れられている。NHKの連載では、勝部さんは、子ども食堂を通して、子どもの貧困の問題を抱える家族の支援にも取り組んでいる*6。ホームレスの人たちの支援にも取り組んでいる*7

 

 これらの人たちの抱える問題の特質や、勝部さんを軸とした共助による支援や救済の手法を見てもらうために、少し長くなるが、ここで、ごみ屋敷の回(第6回)のすべてを引用したい。

 

 

■コミュニティーソーシャルワーカー
■ごみ屋敷 孤立の象徴
 2004年、コミュニティーソーシャルワーカーになって取り組んだことの一つが「ごみ屋敷」の問題です。
 そのころ、気になっていた70代半ばくらいのおばあさんがいたんですね。私もときどき行くハンバーガーショップでずっと夜遅くまで1人で座っていて。なんかさみしそうな人やなって。
 ある日、ケアマネジャーから「介護保険の手続きのために何度訪問しても会えない人がいる」と相談があって、団地の4階にある自宅を一緒に訪ねました。
 ドアを10センチくらい開けて、顔を見せたのがそのおばあさんやったんです。「きょうは忙しいから」ってドアを閉めはったんですけど、その瞬間、ものすごいごみの臭いがしたんですね。そうか、こういう暮らししてはったんやと思いました。
 放っておけなくて、何度も通うんですけど「恥ずかしいから」と家に入れてくれません。3カ月くらいたって、やっと入れてもらったら、部屋中に胸の高さまでごみが積まれていて。その中でいろいろ話しました。
 「ハンバーガーショップでお見かけしますね」と言ったら「あそこにいたらさみしくないの。みんなの声がするから」とおっしゃって。もとはOLで、ずっと独身で天涯孤独なこと、足腰が弱って1階までごみを持って行けなくなってたまってしまったこともうかがいました。
 それから何度も「ごみを捨てる手伝いをさせてもらえませんか」って持ちかけて、「そこまで言うんやったらお願いするわ」となって、ボランティアの皆さんとごみ出しを始めました。すると、ごみの山の下から10年前の新聞とかが出てくるんです。
 その時に思ったんですね。10年間も訪ねてくる人がひとりもいなかったんや。ごみ屋敷は、社会的孤立の象徴なんやって。
■片付けて終わりでない
「近所のごみ屋敷をどうにかしてほしい」。ごみ屋敷を1件解決すると、私たちコミュニティーソーシャルワーカーのもとには、そんな相談が次々と寄せられるようになりました。
 ほとんどが近隣の住民からです。「悪臭がひどくてかなわん」「家の前までごみがあふれて美観を損なう」「ゴキブリが増えて不衛生や」といった内容で、「地域に困った人がいる」という訴えです。「どこか施設に行ってくれたらええのに」っていう方もいて。こうなると排除の論理ですよね。
 でも、何件もごみ屋敷の片付けにうかがって住人と話すうちに思うようになったのは、周りから「困った人」と言われている人は、本人が「困っている人」なんやということでした。

 

続きは会員登録をしなければ読めないため、拙ブログより要約を引用する。

 


 

●老いた親の介護とか、肉親を亡くした喪失感とか、病気とか、誰にだって起きることでつまずいて、誰も助けてくれる人がいないケースがほとんどだった
●困っていることを聞いて、病院に連れて行ったり、生活保護につないだりするが、根っこの問題を解決しなければ、またごみをためてしまう
●だからヘルパーや話し相手のボランティアに訪問をお願いするが、地域の住民がその人を見守り、支えてくれるのが一番だ
●ごみ屋敷を片付けると言っても、まずは門前払い、話ができても断られる、と、簡単ではないので、コミュニティソーシャルワーカーは何度も何度も訪問する
●その様子を見て、近所の人が集まってくることがよくある
●「どうにかしてほしい」「施設にでも入ってくれたらええ」と排除の論理の話が大半だが、どこにも事情を知っている人がいて、それを話し始める
●事情を知ることで、排除の側にいた人にやさしさが生まれるという現場に何度も立ち会った
●それでも排除の側に立つ人はいるので、ごみ屋敷の本人を守るような「盾になる住民」を見つけるようにしている
●同じ地域の住民であることが大事である
●ごみ屋敷の片付けは、必ず住民ボランティアや小学校区の福祉委員、民生委員の人たちと一緒にする
●十数人で片付けを始めると、近所の人たちが表に出てきて、同じ地域に住む人たちが懸命に片付けている姿を目にすることになる
●片付いていく様子を見ることで、排除の論理を口にしていた人が協力の言葉を口にするようになり、排除から包摂へと地域の雰囲気が変わる
●住民がごみ屋敷の片付けを手伝う「豊中方式」は、小さな成功体験の積み重ねによって、地域のことを地域で解決する住民力が育っていることによってできていると思う

 

  これらの問題は、なぜ公助だけでは掬い上げることができないのか。その理由を感じていただけたのではないだろうか。まず、本人が声をあげないので、公的機関がその問題の解決に乗り出すことが難しい。誰かが問題を見つけ出し、解決のための適切な機関につながなければならないのだ。次に、問題が解決できたかに見えても、彼らの抱える、その背景となる困難が解決していないために、結局、問題が再発してしまうケースがとても多い。そして、その背景となる困難とは、多くは、彼らが本当は社会的な支えを必要としているのに、孤立している、ということである。制度のはざまで助けてと声をあげられずに困窮している、というと、公助を求める立場からは、では、制度をつくればよいではないか、という声があがるかもしれない。しかし、社会的孤立の問題を解決するには、地域住民の支援が不可欠なのである。地域の共助が不可欠なのである。

 

 ここで、彼らのための疑似コミュニティを公的政策によって作り出す、という方法も考えられるだろう。実際、勝部さんも、引きこもりの人が少しでも外に出やすいようにと、彼らが働ける「豊中びーのびーの」という場を設けたり*8、会社を定年退職した男性たちが農業と地域福祉を学べる「豊中あぐり塾」という塾を開いたり*9することで、彼らの社会的孤立の問題を解消しようとしている。最近では「出会いの場」としての子ども食堂を広げることにも力を入れている*10。これらを、共助ではなく公助の枠組みでもっと行えばよいのではないか。他にも、老人ホームや世代を超えたグループホームを、公費で開設したり、助成したり、利用できるようにしたりすればよいのではないか。そのように考えることもできるだろう。

 

 こうした考えはもっともで、それなのに、現在、こうした公共政策はあまりにも貧弱である。これは確認しておくべきことであるし、改善を強く求めていくべきことである。しかし、それが改善されたとしても、公助だけでは、やはり不十分である。

 

 まず、公助で彼らを支援する場が用意されたとしても、既に述べたように、誰かが彼らを見つけ出してそこに導かなければ、彼らがそこにたどり着くことはできない。それも公的機関が行えばよいという考え方もあるだろうが、それには限界があるし、今度は監視社会化が危惧されることにもなる。

 

 次に、彼らの社会的孤立の問題を、公助だけで解決しようとしても、彼らと社会とのつながりは、職業専門家とのつながり以上には広がらない。公的機関の人間が彼らと関わったり、彼らが誰かに支援を求めるための費用を公費で負担したりすることはできるが、そうしてつながることができるのは、職業として彼らの支援を行う人たちに限られるからだ。もちろん、それでも誰ともつながらないよりは、はるかによい。また、それだけでなく、職業専門家の支援を受けることで、彼らが自ら社会とつながることのできる力を身につけることも期待できる。しかし、だからと言って、その力が弱ければ、相手が手を差し伸べてくれなければ、彼らは他者とつながっていくことはできない。つまり、相手の共助なしにはつながっていくことはできない。さらには、彼らとつながればよいのは職業専門家たちだけであって、「一般の」人たちはつながらなくてもよい、という共通理解が広がるとすれば、彼らは「一般の」社会から切り離されてしまう。公助だけで行えばよいとされる範囲がば広がれば広がるほど、彼らと「一般の」社会との断絶は深くなる。そうならないためには、公助だけでなく、共助も必要である、という共通理解の広がりが不可欠なのである。

 

 上に引用した記事の要約部分にあるように、彼らの社会的孤立の問題を解決するために、勝部さんは、地域に彼らの支援者を作り出すという手法を取る。そのために、地域の委嘱委員やボランティア組織を巻き込んでいく。それだけでなく、地域の人が彼らに関心を向け、彼らの事情を知る機会を仕組んでいく。そして、彼らの事情を知った人たちの間にやさしさが生まれ、支援の輪が広がっていく。私が共助を重視すべきだと主張するのは、こうした過程に、現在、不条理にはびこっている自己責任論や家族主義が打ち破られ、公助を求める態度が育まれる力を期待したいからである。こうした過程は、NHKの連載でもより詳しく取り上げられている。当該部分を引用する。

 

 

 

片づけを通じて、もう一つ大きな変化が起きました。ご本人と近隣の方々との関係が、元に戻っていったのです。一般的に、ゴミを溜め込んでいる人は、地域にとって“困った人”と見えるわけです。そして必ず「地域にこういう人がいると困る」と、排除しようとする人たちが出てきます。そうした人たちとご本人との間で、私たちは“盾になってくれる人”を見つけていきました。今回の女性のケースでは、“盾になってくれる方”は、ご近所の方でした。とてもご本人を心配されているご近所の方がいたのです。その方が「あの家の主は困った人だ」「出て行ってほしい」と思っている人たちに、「片づけが進み始めたよ」「もうちょっと待ってあげよう」と呼び掛け、ご本人に対しては「大丈夫ですよ」と声をかけてくれました。やがて、優しく声掛けをしてくれる人が増えていき、ご本人も「大丈夫かな」と感じてくれるようになり、いざこざは無くなっていきました。盾になってくれる方がいたからできたのであり、私たちの力だけでは不可能だったと思っています。

 

私たちはこれまで、400人を超える方々のゴミの片づけをしてきました。その誰もが、片づけができない様々な事情を抱えていました。一概にゴミ屋敷という捉え方ではなく、ひとりひとりが抱える課題をご本人の立場になって考えサポートしていくことが大切です。これまで述べてきたように、ゴミ屋敷の問題というのは、何か他の原因があって起きているのであって、その原因を何とかしなければ解決にはつながりません。例えば、リストラから自暴自棄な生活状態に陥り片づけをする気持ちすら起きないというような人や、家族を失ったショックから立ち直れない人、うつ状態やいわゆる発達障害だったり、認知症、知的障害といった人たちもいる訳です。ゴミの片づけが目的のすべてなのではなく、その人の生活課題をしっかりとサポートする。その上で片づけにもアプローチしていくことが大切だと思います。

 

近所の人たちが「この人ってこういう課題を抱えて、苦しい思いをしていたんだ」と理解し、つながっていく。外から見たらゴミ屋敷にしか見えないけれど、実際には大切なものが中にあったり、色々な事情も背景にはあるのだということを、片づけを通じて地域のリーダーが理解し、周りの人が冷たい言葉をかけた時には「そういうことではないのでは」と受け止めていく。先ほど「盾の役割」と言いましたが、いわゆる“包摂”ですね。排除ではなくて包み込む役割を果たしていく。そのことで、まち全体が優しくなっていく。排除ではなく、色々な課題を抱えている人のことを、地域の人たちがわかろうとするまちづくり。私たちがやってきていることは、そんなまちづくりにもつながる取り組みだと思っています。

 

外から見ているだけだと、本当の事はなかなかわからないものです。わからないから、表面的なところだけで、難儀な人、大変な人、困った人というふうに見てしまう。けれども、実際にはそれぞれ色々な事情があるわけで、それを知ることが大切なのです。そういうことなのかと知るところから、優しさが生まれてくる。私は、地域で出会ったあるボランティアの方から教えてもらいました。「勝部さん、その人の本当のこと知らんで理解せぇって言われてもわからんやろ」と。知ることによって優しさが生まれ、その人のことを理解できるようになる。自分も同じ状況に立たされたら、同じようになるかもしれないなと思えるようになる。それが共感するということだと思います。本人の生き方とか、何を大事にして生きていきたいのかといったことを、地域の人たちが肌で感じる。そこから出発していくことで、その後の支援の在り方や地域のひとりひとりの方の行動も、大きく変わっていくのではないかと思っています。