鍋パーティーのブログ

再分配の重視を求める「鍋パーティー」の共用ブログです。

経済の縮小期においては、経済の拡大期よりもずっと「強い再分配」が必要ではないか

 本共通ブログの管理人、古寺多見(kojitaken)です。

 この共通ブログの前身は、最初FC2に立ち上げました。2010年11月のことです。しかし折悪しく2011年3月に東日本大震災と東電原発事故が起き、政治ブログの世界も、また私自身も、震災そのものよりも原発問題に関心が偏ってしまって、本来このブログの立ち上げに注力すべき時期にそれが十分できませんでした。

 リベラル・左派全体を振り返っても、2011年〜2013年頃に論点が原発問題に偏りすぎた隙を、2012年12月に発足した第2次安倍内閣に突かれた恰好でした。安倍政権の経済政策は、私にいわせれば評価できるのはその大胆な金融緩和の部分だけであって、この共通ブログのテーマである「富の再分配」については全く不十分だと思われるものなのですが、リベラル・左派内でも、「なんとかノミクスは本来リベラル政権がとるべきリベラルな経済政策である」という謬論がまかり通る時期が長く続きました。もっともこれには、特に旧民主・民進支持層などの間に、新自由主義的な均衡財政志向などの刷り込みが根強かったせいもあります(この傾向は今も続いています)。

 しかし、安倍政権下においても、安倍政権が再分配に全くの不熱心で、財政支出アメリカ・ロシアなど安倍晋三が気に入った国や、安倍の「お友達」などへの傾斜配分がなされた結果、日本国内の格差はますます拡大し、「新しい階級社会」化が進みました。

 先日(2019年7月21日投開票)の参議院選挙で、山本太郎が率いる、元号名を冠した新政党(以下「山本党」と略称)がいきなり比例区で2議席を獲得したのは、自民党はもちろん、旧来の「中道」野党である旧民主・民進系の立憲民主党や国民民主党はもちろん、これら中道野党と「共闘」を行う共産党からさえも「疎外」されたと感じた人々が、山本党に熱い期待を託したためであることはあまりにも明らかです。

 各種メディアの調査によると、たとえば立憲民主党の支持層は60代以上を中心とした高齢者層に偏っていて若年層ほど支持率が低い一方、山本党に投票した有権者は40代以下が多かったとのことです。つまり、いわゆる「就職氷河期」の世代とそれより若い世代からの支持を、立憲民主党(や国民民主党)は得られていないということです。これらの旧民主・民進系政党は、急激な格差の拡大と新・階級社会化への対応が立ち遅れているといえましょう。共産党は本来、新しい階級世界におけるアンダークラス(by 橋本健二)のニーズに応え得る政党のはずですが、「野党共闘」の過程で旧民主・民進系(小沢一郎一派を含む)に引っ張られるばかりで、旧民主・民進系政党の経済政策を「左に寄せる」ことができなかったばかりか、共産党自らも、これは経済政策よりも専ら政治思想的な面においてですが、ずいぶん右傾化した印象があります。それにもかかわらずこの国の社会にずっとあった伝統的な共産党に対する忌避感はまだ残っています。今回の参院選では、これらの要因が相俟って人々に山本党への投票へと向かわせたと考えられます。

 このエントリでは、その山本党の「ポピュリズム政党」的な性格については何も論じません。この記事の論点は以下に述べる通りです。

 それは、経済の拡大期において機能した程度の再分配政策では、経済の縮小期における再分配政策としては全く不十分であり、経済の縮小期においては、経済の拡大期におけるよりもずっと強い、ドラスティックな再分配政策が必要だということです。

 私が念頭に置いているのは、ごく単純なパイの分配のモデルです。パイが急速に大きくなっている段階では、強欲な金持ちが自分の取り分を多く取っても、それよりもパイの取り分が大きくなります。金持ちがパイを取り過ぎてもメタボになって早死にするだけですから当然の話で、その結果富の分配(再分配ではない)は自然に進むのです。その時期には、強い再分配政策は必ずしも必要ありません。

 しかし、パイが小さくなる時期には、金持ちは自分の取り分だけは守ろうとしますし、実際彼らには政権の中枢に与える影響力も十分ありますから、強引に自分の取り分を減らさずに守ります。その結果、金持ちが取ってしまった分を除くパイの減り方の度合いは、金持ちが取る前よりも大きくなり、格差の拡大と階級社会化が急速に進むというモデルです。後者の弊害は、「強い再分配」によって強制的に矯正されなければならないと私は考えます。

 日本も本格的な人口減の時代に入りました。この時代においては、これまでよりもずっと「強い再分配政策」が必要になります。そして、「強い再分配政策」が「強い経済」に直結する時代であるともいえます。アンダークラスの人たちが自助に頼る必要が減ってより多く消費できるようになれば、それだけで日本経済がその潜在能力を有する分だけは拡大することは明らかでしょう。

 つまり、これからの時代こそ「富の再分配」が大きなテーマになる時代なのであって、議会制民主主義がそれから取り残されて、時代遅れの新自由主義的な政策をいつまでも続けていられる余裕など、もはや全くありません。

 「ポピュリズムの脅威」ばかりを声高に叫びたがる人たちの中には、以上のような観点が欠けている人たちが少なからずいるのではないか。そんな彼らたち自身が議会制民主主義の首を絞めることになりはしないか。

 そう強く危惧するため、閑古鳥が啼いているこの共通ブログに久しぶりに記事を公開する次第です。